寺地拳四朗(スマイルアサシン)のプロフィールと世界戦の戦績!

現役日本人世界王者で
最多7度の防衛を誇る寺地拳四朗

アメリカのメディアが
独自に格付けをする
チャンプ・フォー・チャンプ(CFC)で
4位の評価を得たケンシロウ。

日本には井上尚弥選手の他にも
強い選手がいたんですね。
その拳四朗選手のプロフィールを調べてみました。
そして気になるこれまでの戦績も調査しました。

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寺地拳四朗(スマイルアサシン)のプロフィール

本名◎寺地 拳四朗
(てらじ けんしろう)
通称◎スマイル・アサシン
The Amazing Boy
階級◎ライトフライ級
身長◎164.1cm[1]
リーチ◎164.0cm[1]
国籍◎日本の旗 日本
誕生日◎1992年1月6日(28歳)
出身地◎京都府城陽市
家族◎寺地永(父)
スタイル◎右ボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数★17試合
勝利数★17勝
KO勝ち★10回
敗け★0

寺地拳四朗選手の高校時代や大学時代の戦績は?

実は寺地選手の父親が
元日本ミドル級王者の
寺地永さんだったんです。

元々ボクシングには
興味がなかったんですが、
スポーツ推薦で高校に進学するため、
いやいやながら
中学三年からボクシングを始めました。

高校時代


高校は奈良県立奈良朱雀高等学校に通ってました。
高校時代にはインターハイや
国民体育大会にも出場経験あり、

2009年の高校三年生の時に
今やモンスターと呼ばれる
2学年下の井上尚弥選手と
モスキート級で戦っています。

結果は3Rレフェリーストップ負けました。

大学時代


大学は関西大学に進学しました。
大学4年の2013年の
国民体育大会(東京都)で
ライトフライ級で優勝。

全日本選手権では準優勝でした。

 

卒業後のプロ入りの戦績は?

大学卒業と同時に父親の経営する
B.M.Gボクシングジムに所属。
当時のリングネームは『拳四朗』。

デビュー戦はヘリ・アモル(インドネシア)に判定勝ち。
2戦目→ファウワナイ・ウォースラポー(タイ)にTKO勝ち。

3戦目→長嶺克則(マナベ)にTKO勝ち。

4戦目→大前貴史(中日)にTKO勝ち。

5戦目→ロリー・スマルポン(フィリピン)に判定勝ち。

6戦目→堀川謙一(SFマキ)に判定勝ち。

7戦目→角谷淳志(金沢)にTKO勝ち。

8戦目→大内淳雅(姫路木下)に判定勝ち。

9戦目→レスター・アブタン(フィリピン)にTKO勝ち。

10戦目→WBC世界ライトフライ級王者ガニガン・ロペス(メキシコ)と対戦し判定勝ち。
(10戦目にして無敗のまま世界王座獲得に成功しました。)すごいですね。

ここからの戦いは防衛戦になります。
11戦目→ペドロ・ゲバラ(メキシコ)に判定勝ち。

12戦目→ヒルベルト・ペドロサ(パナマ)にTKO勝ち。

13戦目→ガニガン・ロペスにKO勝ち。

14戦目→ミラン・メリンド(フィリピン)にTKO勝ち。

15戦目→サウル・フアレス(メキシコ)に判定勝ち。

16戦目→ジョナサン・タコニング(フィリピン)にTKO勝ち。

この間にリングネームを『寺地拳四朗』に変更しました。
17戦目→ランディ・ペタルコリン(フィリピン)にTKO勝ち。

プロ入りしてから無敗の17連勝。すごいとしか言いようがないですね。

 

チャンプ・フォー・チャンプ(CFC)格付けトップ10!

「同一階級の世界戦回数と対戦相手の強さ」
というCFCの基準においては、
寺地拳四朗は軽量級ながら海外で
高評価を受けています。

最強王者を格付けする
「チャンプ・フォー・チャンプ(CFC)
CFCトップ10は以下の通り

1位 サウル・アルバレス
2位 ワシル・ロマチェンコ
3位 エロール・スペンス・ジュニア
4位 寺地拳四朗
5位 ミゲル・ベルチェット
6位 タイソン・フューリー
7位 ジョシュ・ワーリントン
8位 ジョシュ・テイラー
9位 井上尚弥
10位 アルツール・ベテルビエフ

 

まとめ

もう充分寺地拳四朗選手については
語ってしまったので、
ちょっとだけ裏話をします。

寺地拳四朗選手のよみかたは
『てらじけんしろう』ですが、

名前の拳四朗はあの北斗の拳の
『ケンシロウ』から命名したそうです。
きっとお父さんが北斗の拳が好きだったのでしょう。

拳四朗本人は一度も
北斗の拳を読んだことはないそうです。

あと、試合後はダブルピースをします。
次の試合がテレビ中継されるようであれば、
非常に楽しみです。

 

ではでは、
アディオス!

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